The Float

Nikki of タンザニア キリマンジャロ州 Oshara Secondary School と音楽その他

汽車に乗って -タボラ-キゴマ間 前編-

地獄のような長距離バスに乗って着いたタボラ。その日の日記には「明日、エコノミー症候群で死んでませんように。」と書いてある。起きても、カバ女に圧迫され続けていた右ケツは壊死したように痛んでいた。

 

今日の宿にはガスクッカーがある・・・。ホテルのにいちゃんに頼んで、コーヒー沸かさせてもらう。プラスチックのコップしかなかったので、水を入れて薄める。間違いなく熱湯で溶けそうなコップで、みんな紅茶を飲む。危ないぞ~。

 

コーヒーを飲み終えると、タボラの散策に向かった。

 

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(タボラで見つけた看板。BIG BROTHER IS WATCHING YOU!)

 

 

一応、インターネットで汽車の時刻表を調べていたがこの国の時刻表なぞ微塵も信用できないため駅に向かう。

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(タボラ駅。立派!)

 

チケット売り場は、6人しか並んでいないのに長い長い時間待たされた。恐らく、並んでいるやつは”並び屋”で、金と引き換えに客が並ぶのを代行している。一応時刻表のようなものが張り紙ではってあるものの、まったく要領を得ない文章で知りたいことがわからない。「ダルエスサラーム-キゴマ間、月曜日、昼か夕方着」みたいな感じ。

 

ようやく順番が回ってくる。

「キゴマ行きの汽車今日来ます?」

「キゴマ行きは・・・あと15分後に来るよ」

 

うげっ、ホテルに荷物置いてきちゃったよ・・・。宿泊すればするだけお金がかかるので、できたらさっさとキゴマに行きたい。そもそも毎日キゴマ行きは出ていないので、この機を逃すといつ乗れるかわからない。

 

「わかった、おじさん!荷物取ってくるから、チケット書いといて!」

 

ダッシュでホテルに戻って駅に引き返す。結局、汽車が来たのは、その「15分後」を余裕で過ぎた一時間後だった・・・。

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列車は、二等の寝台列車。一部屋3畳ほどの一室に、三段ベッド×2で計6台のベッドが吊るされている。ベッド間の高さは、立てた腿の長さとすこし。座ることはできない。寝ながら日記を書いている。

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たしかに狭いが、バスチケットと同額くらいで、水道付き、トイレ付き、ベッド付きのこの列車は、前日に地獄をみた俺には天国だった。

  

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(ちなみにトイレは案の定穴が開いているだけ。つまり外に撒き散らし。)

 

 

列車はなかなか出発しない。遅れを告げるアナウンスが聞こえる。「ただいま、雨の影響で、曲がったレールを直しております。出発は5時ごろになります」。今は午後の12時・・・・。タンザニア生活早2年近く、怒るという感情はとうに失い、諦めである。

 

同室には、もう一人客が居た。タトゥーをしたブルンジ人の若い女で、キゴマからタンガニーカ湖を越えて、ブルンジに帰る途中だと言った。ブルンジでもスワヒリ語を話すみたいで、会話は全てスワヒリ語だった。

 

 

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やはりどことなく、タンザニア人と違う。

タトゥーをしている。煙草を吸う。服もセンスもタンザニア人よりいい。

そんなにダルエスサラームに行かないので、正直都市の若者の価値観はよくわからないが、これをキリマンジャロでやると、間違いなく「売春婦・ビッチ」の汚名を着せられるだろう。社会的タブーを完全に冒している。なんとなく「女はこういうもの」と、規定・束縛する概念にツバを吐きかけているに思えた。こんな女は、タンザニアで見たこと無い。

 

「煙草、何吸うの?」と彼女は聞いた。「エンバシー」。いつものキャメルのブラックのストックは尽きていたので適当な銘柄を言う。「一本あげるよ」、彼女は持っていたメンソール煙草のパックから、一本エンバシーを取り出して渡す。「ありがとう」と言ってそのまま火をつけた。火をつけると同時にガッタン!と車体が揺れて動き出す。ようやく重い腰を上げて、汽車が動き出した。メンソール煙草のパックに入れられていたせいで、煙草はハッカの味がした。

 

 

強烈な西日に向かって、汽車は走っていく。汽車は、八幡山-上北沢間の各駅停車並、もしくは世田谷線並のスピードでノロノロ進んでいた。

 

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(いい写真に見えるでしょう?実際は、このガキら「チナチナ(中国人中国人)」ずっと俺に言っている)

 

 

延々と変わらぬ風景。メイズ・田んぼ・畑・山・病弱そうな白い肌の木。徐々にあたりは暗くなっていき、強すぎた太陽は、そろそろ地上の支配を終えようとしていた。

 

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窓から身を乗り出して。隣の女と客室で煙草を吸う。彼女は「シャーニ」と名乗った。

仕事はダルでマッサージ師をやっていたが、辞めた。夫はペルー人のジェラルドという40代のおっさん。ブルンジには、今の夫とではない6歳の息子がいて、国籍はセネガルらしい。彼は6歳にして、現地語、スワヒリ語、フランス語を話すそうだ。なかなかインターナショナルな経歴。

 

「ん?ちょっと待って、若そうに見えるけど今何歳?」

「24歳の11月生まれ」

 

なんと俺とたった5日の差だった。

ということは18で子供を産んでいる。もちろんアフリカでは全然珍しいことではないけれど、自分が18の頃を思い出すと何か不思議な気持ちになる。まだ、制服着て、放課後にバスケをやっていた同じ頃、彼女は子供を産んでいる。

 

いつもなら、別に価値観の違うタンザニア人の人生に干渉する気はないが、彼女はタンザニアの女性像をはみ出しまくって特別好意的に思えたので、少し突っ込んだ話をする。

 

「その夫のペルー人のこと好きなの?」

「世の妻がそうであるように好きだよ」

「へえ、夫はダルに居るの?」

「今はペルーにいる」

「いつ帰ってくるの?」

「わかんない」

 

もしかしたら、話に聞く現地妻ってやつかもしれない。

 

「まあ、あんたの人生だからあんた次第だけど、ペルー人と別れて、タンザニア人かブルンジ人の彼氏作ったほうが良いんじゃない?あんた可愛いし、きっといい男つかまえられるよ」

余計なお世話だろうなぁと思いつつも、口が滑ってしまう。

 

タンザニア人の男はヤダ。あいつら浮気ばっかりでセックス目的だから!」と返す。

うん、たしかに・・・。否定できない。

 

「前にキオスクで、私の胸触ってきたやつがいてさ、玉蹴って警察呼んでやったわ。クラブでも、クソヤローが私のケツ触ってきて、もう靴で血が出るまで殴ってやったよね。私は売春婦じゃねーっつーの!だからタンザニア人を夫にするのは絶対ヤダ!」

 

最高!笑

 

今でも相当に腹が立っている様子で、饒舌にセクハラ体験をしはじめる。今まで手加減してたであろうスワヒリ語が、完全にネイティブのスワヒリ語になる。まったくわからないが、適当なタイミングで相槌だけうつ。初めは、もしかしたら水商売のマッサージ師なのかな(ダルにはあるらしい)と思ってたけど、違ったようだ。

 

 

話しているあいだに彼女の煙草が尽きて、俺の煙草も最後の一本になる。シャーニは俺に見せないように、タンクトップの下からブラを脱ごうと格闘していた。二つの肩甲骨は魅力的に可動範囲をグリグリ動いている。俺は半分吸った煙草をシャーニに渡した。彼女は「ありがとう」と言って、肩甲骨は息を止めたように沈黙する。

猫背ぎみで、タイトなタンクトップから腹が少し出ている。Geraldと彫られた指は、窓際と口もとを往復する。その姿は、なんとなく疲れた、倦んだ、諦念、悲劇的な印象を俺に与えた。

 

10時頃、寝る。

 

 

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(このYUKIが殺人的に可愛いのに、どうやら日本国外からは見えないようです。)

Highway to Hell -地獄のみちづれ タボラ編-

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タボラについたときの俺の顔。

 

 

ウテングレから街に帰って来たついでに、バスチケットを買おうとバススタンドに寄る。なんとなく、寝台列車に乗ってみたかったので、駅のあるタボラまで長距離バスで行って一泊し、汽車に乗って西に行こうと思った。

 

バスのオフィスで、「タボラに行きたい」と言う。「はいよ、35000シリングね」

さ、さんまんごせん(約1700円)・・・・?モシからダルエスサラームまで、良いバスで行くとそのくらいだが、ムベヤからタボラで・・・!?

 

 

ああ、なるほど、よくある外人ボッタクリね。チャガ人*を舐めるなよ。

*チャガ人。キリマンジャロ周辺に住んでいる民族。性格的に勤勉と言われる。ただ、コーヒー栽培+観光資源で比較的経済的に恵まれているやっかみからか、他の民族から「金好き、ケチ」のステレオタイプで貶される。

 

そういうときは「嘘つけ~、そんな高いなら乗らな~い、もう宿帰る~、バイバーイ」。ようはカマをかけるのだ。

ボッタクリならこれで「ちょっと待った!いくらなら出す!?」と引き止めるはず。外に出ながらチラチラ後ろをみて「おら、引き留めろ、引き留めろ」と念じる。

 

オフィサー「ばいばーい、おやすみ~」

 

う、嘘だろ・・・。

ちっ、舌打ちしながらオフィスに戻り結局チケットを買う。

 

俺「いくらなんでも高くない?」

バス会社「規定料金だよ」

後ろのおじさん「タボラまでチケットくれ」

バス会社「はい、35000シリングね」

 

おじさん、三万五千払う。

どうやら本当に規定料金みたいだ・・・。高いなぁ。

 

 

翌朝5時半、時刻通りにバスが出た。

出発して2時間くらいは、霧の中の山道を移動する。山間の澄んだ空気。鋭い風が窓から俺を差した。寒いが、寝ぼけた頭に冷たい風がきもちいい。太陽が出てくる。太陽の光が霧に拡散されて、ぼんやりおぼろげな明るさを作っていた。バスは高速で道路を走っていく。

 

がたがたがた、振動で起きる。いつの間にか道路は未舗装道路になっていた。つまり、ただの土。風景は、ディズニーランドのジャングルクルーズ(だったっけ?)のよう。

まあ、移動でこんな自然が楽しめれば儲けもんだよね、カバとかワニとかいるんじゃねーの?ラッキー。

 

まだ、ポジティブである。

 

バスは、未舗装道路をものともせず、がったんがったん高速で走る。開けている窓からは、俟いあがった粉のような砂埃が入ってきて、手のひらのウォークマンを砂だらけにする。拭いても拭いても砂だらけなので、もう諦めた。

 

人が乗ってくる。道路沿いでバスを待っている全ての人を乗っけていく。普通、長距離バスならば、道路で客を乗っけることはそんなにない。だいたいどこにでも私営バスが安い料金で走っているからだ。あっという間にバスは、インドかどこかの電車よろしく、ぎゅうぎゅうで窓も閉まらず、乗り切れない乗客は手すりを掴んで窓からはみ出す状態にまでなった。

 

チケットを持っている僕は、席が用意されているが、さすがにこの乗車率では、まったく身動きがとれない。

しかも、俺の隣には、象やカバを想像させる推定150kgの巨体の女。しかもワキガ。その女の手が、窓側に座っている俺の、文字通り目の前を通りすぎて窓枠にしがみつく。ブクブク、ブヨブヨとした茶色く、俺の腕の五倍以上の体積があるだろう二の腕。

おおよそ人の腕には見えない。その酸っぱい饐えた臭いから逃れようともがくも、彼女の脇の下は無慈悲に俺の右肩の上に乗っている。三国志で、董卓が処刑され、遺体が燃やされたとき、三日間(だっけ?)燃え続けたらしい。この女はもっと燃えるぞ、きっと。

 

どうにか身体を伸ばすが、もう限界に来ている。そのカバ女は、英語で俺に話しかけてくる。”This is Africa.”。ははは・・・・と返すも、あんたほどの巨体はうちの村じゃいねえよ、とよほど言いたかった。それを聞いた添乗員(ケレレ*と呼ばれていた)が「おいデブちん、おめーの彼氏の中国人カンフーマスターかー」と囃す。もはや、いろいろ我慢が限界の俺は「おい、てめえ、車降りろ、ぶっ殺すぞ」と日本語で脅す。ビビって人のせいにする添乗員。ビビるなら突っかかってくんなよ・・・。

*ケレレ。スワヒリ語でうるさい、騒ぐ。たしかにやかましいヤツだった。

 

灼熱・悪路・乗車数・饐えた臭い・目の前に伸びるブヨブヨの腕。バスは14時間かけてタボラに着いた。

 

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(宿についた俺の顔)

 

道中で気づいた。この乗客のうち10人くらい添乗員だ、と。

聞くと、こいつらの半分は車のテクニシャンで、バスが故障した際に直す役目なのだ。ムベヤ-タボラ間は、悪路の長距離のためバスがしょっちゅう故障する。それ故、多くのバス会社はムベヤ-タボラ間を運行したがらない。結果、需要はあるが供給が少ないこの路線の運賃は当然高くなる。あーなるほどなるほど。

 

今まで乗った全ての乗り物の中で、最も、そして人生最悪にカオスな長距離バスでした。 

景色自体は、朝の霧もステキだし、未舗装もジャングルクルーズみたいで面白いので、カオスなバスを体験したい物好きにはオススメです。(僕はもう二度とこんな思いしたくないです。)

 

当然、今日の曲はコレ。

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5日目、総移動距離1674km 

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ノルウェイの森 -ジョンとロカンタン ムベヤ編-

全く見知らぬ土地でないと、よくものを考えることができないのはなぜだろう。

去年既にドドマとイリンガは訪れているためなのか、あまり考えることができなかった。今日は、ムベヤに行く。全く、見知らぬ土地。

 

 朝。宿のババアの話し声で起きる。この国には「配慮」なんて概念が存在すらしないなあ、とつくづく思う。まあ安宿のせいでもあるか。

キリマンジャロに住んでいるせいで、コーヒー中毒になってしまった僕は、旅先でもコーヒーが飲めるようにマキネッタと豆を持ってきている。コンドア、ドドマでは、宿にお願いして台所を貸してもらい、毎日コーヒーが飲めた。ただ、この安宿は炭を使っていて、まだ火おこしをしていなそうなため、今日はコーヒーも飲めないままバスに乗る。ああ眠い。

 

 

イリンガからマフィンガへ。

 規則正しく並べられた針葉樹は全校朝会に並ぶ小学生のようだった。木材加工が盛んなようだ。そして旧宗主国イギリスから受け継がれたchai(紅茶)文化の最メジャーである「chaibora」の生産州らしい。

 ここの紅茶はあまり匂いがしない。砂糖をドバドバいれることもあって、甘く温かいものを飲む欲求だけに応えている用に思える。どうでもいいがchaiと茶って発音が似ている。

 

8時間かけてムベヤについた。たぶん、アルーシャと同等か、それより上の規模である。また、雨が降ってきた。寒い。

 

 

翌日、機械を見にいく。溶接、切断、金属の折り曲げetc.

いくつもの機械が爆音で呼吸している。火花が散らばる。

機械は良い。何の感情も持たないからだ。二進法の思考で、0か1しか存在しない。曖昧な部分がないから、たとえ人間の指を真下に置いても正確に真っ二つに切り落とすだろう。ふっと、この思いは憧れに近いと気づく。

 

 

ムベヤの街から少し離れた丘に、ウテングレ農園というホテル兼コーヒー農園がある。

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 ここのコーヒーがおいしい。熱くて、濃くて、少し酸っぱい。キリマンジャロのコーヒーは、良いのが輸出されているからか、焙煎がうまくないのか、キリマンジャロのユニオンコーヒーよりムベヤのウテングレコーヒーのほうが美味しく感じる。なんだかんだキリマンジャロ州の都市モシは暑いから、寒いムベヤのほうが美味しく感じるのかもしれない。

 

 

 ビートルズのアンソロジーが置いてある。メシを待ってるあいだ、眺める。クオリーメンから解散まで。最後のページにジョンのインタビューが載っていた。

I don't believe in father figures any more, like God, Kennedy or Hitler. I'm no longer searching for a Guru. I'm no longer searching for anything. There is no search. There's no way to go. There's nothing. This is it. We'll probably carry on writing music forever.

 

 もうジョンの考え方は、プラスチック・オノ・バンドの「ジョンの魂」に近づいていって、ほぼ”God”の歌詞そのままだ。

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昨日ちょうど読み終わった「嘔吐」の表紙を眺める。

ああ、ジョンレノンもロカンタンと同じだ。ジョンレノンがサルトルに影響されていたのかどうかは知らない。ただ間違いなく世界に放り出された存在であることに気づいている。

真心ブラザーズの「拝啓、ジョン・レノン」じゃないけど、昔から、なんでこんな夢想家の現実見てないおっさんのことが、どうにも好きなのかわからなかった。言ってることは矛盾しているし、教祖みたいだし、ヒッピーだし。

 

ただ、今はなんとなくその理由がわかる。ジョンは実存主義者なんだ。

ロカンタンは、人生に意味なんてものはないと気づく。マロニエの根と同じ、存在しているだけと。ジョンも同じで、 心の底では、存在の全てが偶然の産物で、世の中に生きる意味など無いと感じている。

ただ、ジョンもロカンタンも、それをネガティブにとらえていない。生きる意味・目的から開放されて、自由という真っ暗闇に放り込まれていることに気づいても、自殺だとか、ダラダラと死まで生き続けることを選ばない。

その「幾分か死に似ている」自由のなかで、ロカンタンは、小説を書くことを選択し、ジョンは”carry on writing music forever”を選ぶ。彼らの選択に、まるで井戸に差し込む太陽のように光を感じるから、ジョンのことが好きなんだ。

 

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鬱蒼としたウテングレの森を歩く。ウォークマンで流れているのは、ビートルズのRubber Soul。中学二年のときに初めて買ったビートルズのアルバムだ。

 

ドライブ・マイ・カーの後にノルウェイの森が流れる。吐き気が、止まった。

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4日目、総移動距離1092km

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*本

ロカンタンについては

「嘔吐 新訳」J・P・サルトル著 鈴木道彦訳 人文書院

https://www.amazon.co.jp/%E5%98%94%E5%90%90-%E6%96%B0%E8%A8%B3-J-P-%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AB/dp/4409130315/ref=pd_lpo_sbs_14_img_0?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=V92G9RZTY0SA1FC2X4FE

 

メシのうまさは、即ち文化の豊かさ

前記事の通り、なんだかんだあってコンドアからドドマに。

 

一応首都のドドマ。一応と言うのは最大都市のダルエスサラームに行政府があるが、立法府ドドマにある。つまるところ国会だけドドマ。日本だと名古屋あたりに国会だけあるようなものだろう。初代大統領ニエレレが首都移転計画を提唱したものの、実施されず(というか要人がダルを離れたがらず)、ゴタゴタしている中、先日現大統領マグフリが要人たちのケツをひっぱたいてドドマに首都機能の完全移転を公約した。

 

(レペゼン・名古屋ドドマ

 

 

ドドマからイリンガに。

タンザニア国内では有名なイリンガヨーグルトの製造地。キリマンジャロだと1000シリング(約50円)のヨーグルトが600シリングで買える。タンザニアは、輸送費がモロ価格反映されている。

 

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マンゴー味。普通においしい。

 

イリンガは、内陸にしては珍しく観光客が多い。ネーマクラフトという、ろう者が作るハイクオリティなお土産品が置いてあるカフェや、マサイマーケットと呼ばれるお土産屋出店があったりして結構たのしい。

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ネーマクラフト。コーヒーおいしい。

 

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マサイマーケット。値切り次第ではザンジバル・モシ・ダルより安く買える穴場。おすすめ。

 

 

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少し街から離れたところにあるイタリアンレストラン、ママ・イリンガ。タンザニア歴約2年で一番うまいレストラン。なんならザンジバルより上!ティラミスはマストで!(ただアメリカンコーヒーを頼むと、インスタントが来る。エスプレッソを頼むべし。イタリアですもの。)

 

 

ルアハ国立公園が近い等、(地方都市にしては)観光に魅力のある街であるが、白人女性への暴行事件も起こっているようなので、女性の独り歩きは注意。

 

貧乏旅なため、イリンガでは1万2千シリング(約600円)の激安モーテルに泊まった。だいたい安ホテルにはランクがあって、

 

~1万(500円以下) 見たことがない。

1万~2万(500-1000円) バス停近くに多い。うるさいが安い。風呂トイレは部屋外の場合が多い。シャワーはもちろん水。

2万5千~3万以上(1200円以上) 湯シャワーがついている場合もある。

 

個人的にこういう感じ。

僕が泊まった激安モーテルは、トイレに踏まれたう◯こっぽいものが掃除されずに佇んでおり、トイレも流れず、水シャワーというものだった。これは完全にクジみたいなもので、安ければ安いだけハズレクジが多いと考えて良い。

 

高地ゆえ、普通に寒いイリンガでの水シャワーはまさに苦行。凍えてベッドに飛び込む。毛布にくるまっていると、毛布からタンザニア人の脇の下の臭いがする。胃がぎゅっとわしづかみにされて、胃液が逆流しそうになる。

 

たしかにこんだけ寒くて、水シャワーならタンザニア人は風呂はいらねえな・・・。なんて思いながら、念のため入れておいた自分のブランケットで凍えながら寝る。

 

ドドマとイリンガは、去年既に行っているためか特段心境の変化はなかった。強いていうなら、唯一持ってきた本、サルトルの嘔吐を読み終わる。これはまた別の機会に。

 

3日目、移動距離778km

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空の飛び方 -コンドア漂流編-

サンヤジュウ-ババティ-コンドア

 

朝5時に起きる。6時半くらいに出発。

ドドマ行きを当日券で探したが、無い。Umechelewa(あんた遅れたよ!)と言われたので、珍しく遅れずにバスが出たんだろう。ダルエスサラームに行くバスはいつも遅れるのに。

バス会社のおばさんの機転で、マニャラ州の州都「ババティ」に行き、乗り継ぎでコンドアを目指す。

ボロい割に座席が広い長距離バスで、アルーシャ経由で約5時間。ババティに到着。山の中腹にある街でゴミが少ない。フラミンゴで有名なマニャラ湖は遠いらしい。そこから、コースターでコンドア行きに乗る。

 

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(6時間なんかじゃつかねえよ)

 

 

山の間をはしる真っ直ぐすぎる道路で、スピッツを聞いていた。「空の飛び方」と「Crispy!」。いつ聞いても最高なアルバムだ。

 

「不死身のビーナス」のシンプルすぎる8ビートのドラムと、ブリッジミュートの歪んだギターが、窓の外の景色を一瞬で吹き飛ばしていった。

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シンプルなギターポップの「空の飛び方」が終わって、walkmanは「Crispy!」に続いて行く。今日何度目かの眠りに落ちそうに退屈なバスの中、太陽はその支配を終えて、薄暗い灰色の雲にオレンジの光を拡散させていた。

 

いい曲は千回聞いても飽きない。

はじめはグルーヴに体をまかせる。全体を頭を空っぽにして。次は各楽器に身体を引き込ませる。そうすると、はじめは見えなかったグルーヴの魔法の構成要素が見えてくる。ベース、ドラム、ストリングス、ホーン、ギターの順で、イタコみたいに憑依されにいく。

 

歌だけは、その範疇外で全体を聞いてる時にでないと歌詞は意味を持てない。今度はマサムネの歌に脳を集中させる。

 

街は夜に包まれ行き交う人魂のなか

大人になった哀しみを見失いそうで怖い    「君だけを」from Crispy!

 

ふっと歌が本来の言葉としての意味を持ちはじめる。ああ、そうだ、俺は大人になった哀しみを見失いかけていた。ディランのライブに行った時、初めて気がついた老いへの嫌悪が蘇る。それは「いつの間にか大人になっていく」、なんて陳腐なノスタルジーではない。ただの嘔吐するような嫌悪感。なまくらになった刃物を見るときの嫌悪。

ただ、いずれそうなることは死以外では逆らえない。その哀しみを、日々の慣れたコミュニケーションで見ぬふりをして埋没させていたことに気づかされたのだった。その感情を暴かれたことに呆然としながら、陽は落ちていった。

 

 

コンドアは、ただの田舎町で、もし無作為に抽出されたタンザニアの田舎町に着いていたとしても区別がつかないだろう。世界遺産の看板も、どっかの州の事務所みたいに寂れている。偉そうな所だけを残したままに。

アクセスが悪すぎるからだろうか、外人向けのホテルもないし、レストランもローカルしかない。よくこんなところユニセフは見つけたもんだなあ。あれ?国から申請するんだっけ?

 

 

翌朝、世界遺産のコロ村に向かう。コンドアの人はあまり移動しないのか、バスの本数がやたらと少ないし、高い。乗合バスは存在しないようで、長距離バスに乗ってコロ村で途中下車する。

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コロ。よくあるドドマ的な、公園の砂場のデコボコを岩に変えたような土地だ。絵のあるところまで歩いて行くかバイクタクシーで行くかと言われ、徒歩を選択。そもそも僕らはバイクタクシーを乗ることは禁止されている。

 

Kwenda na kurudi ni km 6.(行って帰るまで6kmだよ)

Kwa miguu ni ongeza elfu kumi.(徒歩なら1万シリングガイド代増やしてね)

 

なぜバイクで行く時と徒歩で行く時のガイド料が違う・・・・。外人なら普通に払ってしまうだろう。が、さすがに二年近く住んでいればスワヒリ語もそこそこ喋れる。値段交渉が始まる。「国が金を払わないから、ガイドが大変なんだ」「そりゃ俺の問題じゃない、ストライキするなりして国に言え」と延々・・・・。あんまり値切りすぎて、ガイドでなく道案内人になられても嫌なので、俺の主張と彼の主張の中間点で手を打つ。

 

 

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あるく。

 

歩く。

 

walk。

 

tembea。

 

おい、どこが往復6kmだ!

 

 

そして歩いた先にあったもの、それは・・・・。

 

 

 

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90MINS WALK, DAKIKA 90 KWA KUTEMBEA

(世界遺産 コロのロックアート、このさき徒歩90分)

 

この先って、山じゃねえか・・・じ、地獄か・・・!

ガイドは「腹減って死にそう」と言いながら、ひたすらその辺の木の実を食っている。「ガイドさん、これ100パー片道6kmだよね、往復12kmだよね」

「ああ、そうかな~、腹減ったー」

会話にならん。

 

そして、登った先にあったもの、それは

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ガイド「これ、ラスタ」

 

んなわけあるかい!

4千年前にラスタがいるか!そもそもキリストも居ねえわ!!

 

何箇所か、こういった壁画がある。キリンやバッファロー、豚皮の着物を着た男、踊る女、等々が描かれている(らしい)。(ぶっちゃけ、特に感動はない。4千年前!?嘘つけー。くらいの勢いである。)

 

唯一興味深かったのは、その絵の顔料である。

「なんの原料で描かれてんの?」

「動物の血と脂肪、石、etcを混ぜて作っているらしい。だが、今同じように作った顔料は、すぐに水で流れてしまうんだ。なにかの魔法があるんだよ」

 

かすかに見える絵画は、60,70年代はもっとくっきり残っていたそうだ。ただ、観光地化するにしたがって、絵をよくみせるように水をかけていたらしい。世界遺産に認定されたことで水撒きは禁止されたが、そいつがまずかったようで、今じゃほとんど残っていない絵も多数ある。

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バオバブの家もあるらしい。完全にダゴバのヨーダだ・・・!!!)

 

 

もうコンドアというあまりに無個性な街が嫌になっていたのもあり、早くドドマに移動しようと考えた。コロのツアーオフィスに戻って、帰りのトランスポートを聞く。

「街への移動手段?そんなもんバイクに乗るか、ヒッチハイクしかねえぞ」

 

絶句・・・・。

 

結局、どうしようも帰れないのでガイドと一緒に人生初ヒッチハイクをすることに。3,4台に素通りされたあと、一台の車が止まってくれる。「助かった!」とおもい駆け寄ると、中国人がお二人。そのうち一人は英語が少しわかるようで(助かった!)挨拶をしてのっけてもらう。

 

中国の方に挟まれながら2,30分。載せてもらって無言でいてはいけない、とおもって「中国のどこ出身ですか?」と聞く。かなりのなまりでうまく聞き取れないが「多分知らないとおもうけど、ナンジンの近くだよ」と答えてくれる。

ナンジン・・・。たしか北京は英語でベイジンなはずだ。京が「ジン」ならナンジンは・・・南京か!

 

我ながら今日は推理力が冴えている。だがしかし、南京の関連ワードとして頭に出てくるもの、それは、南京虫南京大虐殺しかない。中国人の方とコミュニケーションを取る事自体初めてに近いのに、初対面で戦争の話しなぞできるはずがない。

 

また沈黙する。

チャーハンの話しでもしようか・・・いや、膨らまないよなぁ。ラーメンは・・・あれはもう日本化されすぎてて通じないだろう・・・・。ええっと・・・・。

 

考えている間に街に着いた。

 

「着いたよ」「ありがとうございます!謝謝!謝謝サーナ!」とお辞儀をして別れた。別れたあとに、三国志の話とか項羽と劉邦の話すればよかったなぁ、と気づいたのだった。中国人のお二方、載せて頂き本当にありがとうございました。

 

コンドア。

景色は良い。ハイキングとして行くなら楽しめるだろうが、絵のみを目当ての場合肩透かしを食らうだろう。特に他のアクティビティもなさそうなので、面白さ★★☆☆☆

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ブーヴィルにて。またはぼくらが旅に出る理由

誰にも知られない土地に行く必要があった。

 

知り合いと連絡を断ち、インターネットを捨て、ただ自分と話し合う時間が必要だった。

 

そういえば、「書を捨てよ町へ出よう」なんて寺山修司は言っていた。現代なら「インターネットを捨てよ街へ出よう」なんだろうか。今ならネットでどこにいっても孤独を紛らわすことができる。僕には、打ちのめしてくれるような孤独が必要で、ただあてもなく見知らぬ土地を歩いてみたかった。

 

 恐らく、人生で最後の”若者”と呼ばれる時期の、目的のない旅になるだろう。ウディ・ガスリーの鉄道の旅ように、ゲバラのモータサイクルダイアリーのように、もしかしたら旅先で何かが起こって、永遠に自分を変えてしまうかもしれない。冒険。考えてみれば、それらの冒険への憧れは常に心にあった。イージーライダー明日に向かって撃てアイム・ノット・ゼアのディラン、ロードムービーのような冒険を夢見て。

 

見知らぬ土地に、一体なにがあるのか、自分がどう変わっていくのか、日記に書いておこう。「正確さ」が重要だ。なるべく正確に感じたことを文章にできるように。へんに美文を書こうなんて思っちゃいけない。ただ、正確に。

 

バスが来た。最初の行く先はコンドア。世界遺産のある街。

 

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キルワに来たわ

年が明けまして、2017年。休暇明け、1月ぶりに帰ってきたキリマンジャロも、だんだん暑くなって耐えきれない程になってまいりました。

 

便所に行こうと外に出る度に、瞳孔の調整がおっつかないほどの太陽光を日々受けています。寒さが恋しい。

 

さて、年末年始の大きな休みが終わりました。

まるまる12月が休みだったので、タンザニア東半分をくるくるとまわってきました。今回はちょこちょこそのことについて書いていこうと思います。

 

キルワ・キシワニ

今まで読んだ本のなかで、一番影響を与えた本はなんですか?

おそらく僕は小学館の「世界遺産ふしぎ探検大図鑑」と書くだろう。

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(ポンペイとロンドン塔とアウシュビッツのページがトラウマ)

 

付録にコナンのVHSがついてたこの本は、どうぶつ奇想天外世界ふしぎ発見!を毎週土曜(日曜でしたっけ?)に見ていた僕のお気に入りの一冊だった。

 

さて、タンザニアには7つの世界遺産がある。

自然遺産に、セレンゲティ国立公園、キリマンジャロ国立公園セルース猟獣保護区

複合遺産に、ンゴロンゴロ保全地域

文化遺産に、ザンジバルのストーンタウン、コンドアの岩絵遺跡群、そして、今回旅行したキルワ・キシワニ、ソンゴ・ムナラの遺跡群である。

 

【行き方】

キルワに行くには、(ほぼ)首都ダルエスサラームから直通バスで6時間くらい南下。キルワ・マソコという場所で降りる。

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海沿いの静かな村キルワ。

 

大雑把に言えば、海岸沿いにはアラブ系の人が多く、内陸に近づくとキリスト教徒が多くなる傾向にあるタンザニア

海沿いのキルワもやはりムスリムが多く感じる。

 

世界遺産の割に、旅行者に一人も会わなかったが、ちゃんときれいなツアーインフォメーションセンターがあった。そこで、ツアーの予約をする。

この世界遺産はふたつの島にまたがっており、ソンゴムナラはキルワキシワニとは違う島である。キルワだけだと20ドルくらい(ガイド・船費込み。5人の場合)。島は沖合から船で20分くらいといったところ。

 

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キルワ・キシワニのキシワニは、スワヒリ語で「島」だ。

 

 

上陸するとこんな感じ。

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キルワは中世の大都市だったらしい。東アフリカとアジアの貿易においての中継地として栄えた。東アフリカからは象牙や金や奴隷、アジアからは香辛料、宝石、陶磁器等々が行き交う土地であった。中国と日本の貿易で利益を得ていた琉球みたいな感じだろうか。

 

この城の城壁は、珊瑚が埋め込まれている。これは、城壁を強くするためで飾り付けの意味はないらしい。

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(なぜ強くなるのかは全然納得いかない)

 

超炎天下のなか2,3時間歩き回って終了!基本的には、大中小モスクの廃墟、統治者スルタンの住居を見にくるくる島を一周する感じ。

現在も人が住んでいる。のんびりしててイイ感じの島だ。

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島の生き物もおもしろい。

 

片腕だけハサミのヤンキー感あふれるカニや

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謎の実などなど。

おっぱいツリー

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以上。おすすめ度★★★☆☆

(遺跡がワンパターンで最後の方ぶっちゃけ飽きはじめる。1島で十分)

海が綺麗でジュゴンも見えるところがあるらしい。海のアクティビティ目当てで来て、ついでに遺跡を見るのがベストかも。

海鮮はGoo!